国への愛と神の愛の違い―愛の誤用について
イエス様の教えには、次の御言葉のように難解な箇所があります。
私のもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、また自分の生命さえも憎まない者は、私の弟子となることは出来ません。 ルカ14:26
もちろん、この言葉はとても極端だとすぐに分かります。イエス様は私たちに家族(や自分の生命を)憎むように望んではいません。しかし、この言葉は正しく、一つの真理を示しています。神の愛とその他の愛は同じカテゴリに属していないのです。
神の愛は永遠に続きますが、私たちは神を愛し続けられません。神は私たちを一番に愛しますが、私たちは神を最も愛せていません。
そのため、神の愛に比べれば私たちの愛情などまるで憎しみにすぎないのです。
つまり、神の「愛する」の基準からすると、私たちの「愛する」はとんでもない思い違いだと言えます。
毎年 独立記念日の頃になると、この現実が私の目に
私たちの人生における「愛」のほとんどは、ある種の一体感を抱かせます。たとえば、あなたが愛着心を持つ家族、スポーツチーム、大学、地域、国について考えてみましょう。こうした愛着心は、同じような愛着心を持つ人と気持ちを共有できます。子供の頃、私の家族は「シボレー」ブランドに愛着心を持っていました。ブランドへの愛着心は、アメリカの自動車メーカーによって意識的に育まれていました。当時、同じく人気のあったフォード車に対しては、その頭文字から「
20世紀初頭、現代マーケティングに人々を魅了するトレンド作り(心理インサイト)が始まってから、愛着心は操作の対象とされてきました。人々は流行を追い、熱狂するようになりました。そのため、重要な事柄を合理的に議論ができなくなり、強い絆で結ばれている家族にさえ影響を及ぼしてきました。
最近の世論調査にこのことが反映されています。
日曜日の夜にHBOで放送されたAxiosの世論調査によると、米国人の多くは自分の支持しない政党が無知で、邪悪で、国を破壊していると考えていることが分かりました。民主党支持者の61%が共和党支持者を「人種差別、偏見、性差別者」と見ており、共和党支持者の31%が民主党支持者を同じように見ていると答えています。
「HBOのAxios」の世論調査によるとこの問題は非常に根深く、米国人の3分の1が"自分の支持政党に合わない人と家族が結婚したときは、失望するだろう"と答えているほどです。
この事実は「政治的立場の違いや、それによって失望することがおかしい」という話ではありません。しかし、私たちの愛着心は目の前の問題よりはるかに深い感情に
拠 っているのです。
私がここで伝えたいのは、政治的対立の話ではなく、神との関係についてです。神への信仰にとって、操作の対象となる心は非常にゆがんだ土台です。この心の特徴によって、自分でも気づかないうちに誤解した神観がすり込まれる可能性が高くなっています。同じ重さの罪が二つあります。神を忘れることと、誤解した神を覚える(=信仰する)ことです。
正教会の
神へのアプローチの正しい始まりは、私たちがみな愚か者なのだと認めたときの生活への影響を想像することです。
「愚か者」というのが言い訳として使えるわけではありません。むしろ、私たちの盲目についてよく認めることです。「神を知らない」というのは、神に関してではなく、自分自身についての告白です。確かに、神を知らず、同じように私たちはお互いをも知らないのです。愚かなエネルギーに(自分自身や他人によって)会うことがあります。しかし、この愚かさは私たちや神の存在が真実ではないという失敗を犯させます。
古典小説「蠅の王」は、凶暴な狂気に陥り、残酷に殺人を犯してしまう子どもたち(島に置き去りにされた少年たち)の無邪気さを描いています。大人たちが少年たちを救うために着いたとき、小説を読む上で静けさがあります。起こったことに対する涙と共に素面が戻ってきます。これは宇宙で唯一の大人である神を呼び求めるのと同じ素面、静けさです。私たちの幸せは、神が恩知らずや悪にさえも慈悲深く親切であることです(ルカ6:35)。
私たちは愚か者です、主よ、祈りを聞いてください。
[8/15文章を修正]