初実の果

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神への畏れについて―聖使徒ペテロの第一の手紙の言葉の解説


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敬虔な使徒ペテロはキリスト教徒への手紙の中でこう書いています。
従順な子のようになりなさい、以前の無知のときの欲望に従わず、むしろあなたがたを召された聖なる者にならって、あなたがたもすべての行いにおいて聖なる者となりなさい。なぜならこう記してあるからです「私は聖であるから、あなたがたも聖であるように」(1ペテロ1:14-16)

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神は生命いのちが聖であることを要求します。
この聖性は第一に純潔、次に神の他の戒めを守ることにあります。
そして、守れなかったときは誠実で謙遜に悔い改めを行います。
純潔には処女と夫婦の二つの意味があります。結婚していた古代のスザンナは不当な裁判官たちの邪悪な欲望を満たすより死ぬことを決心したので、純潔と呼ばれました。
福音書の「十人の処女のたとえ」を見ると、すべての処女が賢かったのではなく、そのうち5人は愚か者であったことが分かります。
後者が愚か者と呼ばれるのは、体の純潔を見ている間にたましいの純潔に注意を払わず、不純な考えと欲望で心と思いを汚し、怒りと憤り、妬みや憎しみの思いによって腹を立て、貪欲によって盲目にさせられ、また彼らの欲深さから隣人への思いやりがなかったからです。
何人かはこうした情熱を控えていましたが、それでも虚栄と高ぶり、隣人を裁き、軽蔑したことで敗北したので霊的な純潔さが失われました。
こう書かれてあります。「心に高ぶる者はみな主に憎まれる」(箴言16:5)処女たちのたとえは、主ご自身が使徒たちに言われたように、未亡人や配偶者にも当てはまります。「わたしがあなたがたに言っていることは、すべての人に言っているのです」(マルコ13:37)

聖なる人生を生きるための方法はなんでしょうか?

主ご自身が使徒ペテロを通してこう言っています。「あなたがたが人をそれぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を父と呼ぶのなら、世に寄留する時を恐れつつ過ごしなさい。」(1ペテロ1:17)
この言葉は、敬虔で聖に生きるための主な手段が、神への畏れと来るべき裁きと永遠の苦しみへの恐れにあることを示しています。この畏れと神の助けによってのみ、戒めを守れるのです。
詩篇でこう述べられています。「主を畏れる者は祝福されて、主の戒めの中で大いに喜びます。」(詩篇111:1)

しかし、たとえ畏れなしで天に住むことがあっても、ダマスコの聖ペテロが言うように「恐れと高ぶりがあれば彼は倒れる」のです。これによってサタンやアダム、他の多くの人たちが堕落しました。

神の言葉は全ての聖徒たちに神への畏れを次のように定めています。「主を畏れなさい、まことに彼を畏れる者は乏しいことがありません。」(詩篇33:10)
私たちは罪深く、見識のない者ですが神へのおそれと死へのおそれを持ちます。つまり、神の裁きと地獄での永遠の苦しみへのおそれを持っているのです。
そして、私たちが悔い改めれば天の王国を受け継ぐという希望でもっておそれを解放するのです。「あなたの死の時を覚えなさい。そうすれば、決して罪を犯すことはありません。」(シラ7:36)

※旧約の引用は主にLXX