知恵について質問
朗読箇所:バルク3:9-15、32-4:4
なぜ「
9聞け、イスラエルよ、命をもたらす戒めを。
新共同訳
この詩は、知恵に対して書かれた詩の短縮版です。この箇所は預言者エレミヤの助手バルクによるものと長らく考えられてきましたが、この詩の文体は紀元前2世紀にヘブライ語で書かれたことを示しています。その頃にはユダヤ人たちはギリシャ文化の支配によって知恵の美徳に対する尊敬が奪われていました。実際、ギリシャの「知恵は神とは別の離れた存在だ」との考えを多くのユダヤ人作家がまねしていました。
バルク書の著者は、ユダヤ人が持っていた「なぜ神はバビロン捕囚と国の崩壊を許可したのだろうか?」という長年の疑問に答えようとしました。律法の厳守によって質問に答えたパリサイ人とは異なり、バルク書の著者は知恵の不足であると訴えました。なぜユダヤ人たちは自分たちの生活ができない世界で、異国人として生きたのでしょうか?ユダヤ人たちは律法に見いだされた知恵の道を歩みませんでした。
神は知恵を通して宇宙を創造されました。実際、知恵はすべての被造物を満たしているようでした。知恵は神が族長を通して与えられた人々への贈り物でした。律法と預言者たちはこの偉大な遺産の、ただの外面的な現われにすぎませんでした。神が族長たちに与えた約束は知恵そのものでした!
では、なぜ神は捕囚を許されたのでしょうか。答えは簡単でした。人々が自分たちの伝統、生まれながらの権利、神の知恵を捨てたからです。律法に戻り、預言者たちから話を聞くことが知恵への一歩でした。自ら存在を持つ美徳とは、律法と預言者たちでした!知恵を求める人たちは聖書を通してそれを見ました。これが人々の栄光でした。
私たちの第一番目にある霊的美徳は何ですか?教義の確実性?赦しによる心理的な安心感?私たちは他の宗教的な美徳によって知恵の順位を下に落とさせたのでしょうか?
あなた個人の美徳の中で、知恵はどの順位にありますか?