初実の果

キリスト教についてまとめるメモブログです。

人を励ます五つの方法―「励まし」という言語


旬祭の日が来て、使徒たちがみな一つになって集まっていた。 すると突然、激しい風が吹くように天から音が聞こえ、彼らが座っていた家全体に響き渡った。 そして火のような分かれた舌が現れ、彼ら一人一人の上にとどまった。 すると彼らは皆聖霊に満たされ、霊が語らせるままに他国の言葉で話し始めた。 さて、エルサレムには敬虔なユダヤ人が天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、 この音に驚いて集まってきて呆気にとられていた。使徒たちが自分たちの生まれ故郷の言語で話しているのを聞いたからである。 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは皆ガリラヤ人ではないか。 それなのに、わたしたちはめいめいの生まれ故郷の言葉を聞くとは、いったいどうしたことか。 使徒2:1-8

世界を見ればあらゆる国の人たちが様々な言語を話しています。「言語」の一つをとってみても、世界が多様性に富んでいると分かります。一つですべてを解決できる万能なものは、多様性に富むこの世にはありません。”励まし”も同じです。誰かを励ますにも、一人一人の個性や状況に応じて多様な形の励ましが必要なのです。

わたしが今まで読んだ最高の本の一つに、ゲイリー・チャップマン 博士の「The Five Love Languages(英)」があります。
この本は結婚や人間関係全般にとって、また自己認識にも役に立つ良い本です。
チャップマン博士の主張によれば、人は五つの愛の言語のうち一つを自分の主な言語として持っています。その五つとは、それぞれ誰かに①肯定的に語りかける②価値ある時間を共有する③贈り物をプレゼントする④手助けする⑤ここちよいスキンシップをとる、というものです。 結婚相手と自分の”愛の言語”が同じであればいいのですが、違うときもあります。しかし、この本には「異なる愛の言語を話す」二人の配偶者であっても、お互いのニーズや言語に最も適したものを学べるように各言語のニュアンスが詳しく説明されていますので、 結婚している人はこの本を読むことを強くおすすめします。

愛の言語と同じように励ましの言語も五つに分けられます。
肯定的な言葉に励まされ、成長する人たちがいます。
もちろん私たちは皆、肯定的な言葉を必要としています。でも、よりたくさんの言葉を本当に必要とする人もいるのです。ですから、私たちは肯定的な言葉で人を励まします。

また私たちは他の人と一緒に過ごすときを通して励まされます。
時には、悲しくても慰めの言葉がいらないこともあります。
誰かが私たちと「一緒にいる」ことは、たとえほんのわずかな言葉しかなくても、それだけで十分なことなのです。
言葉なしに誰かを励ませるときもあります。 聞き上手だったり、ただそこに忍耐強く存在しているだけでも励ましになります。

誰もが贈り物を喜びます。
「励まし」という贈り物にお金は必要ありません。
何も買う必要もありません。包む必要もありません。誕生日やクリスマスを待つ必要もありません。
励ましとは、誰でもいつでも誰にでも与えられる贈り物です。
励ましの手紙はすばらしい贈り物です。
なぜなら、励ましの言葉は言われても忘れてしまいますが、励ましの手紙は何度も何度も読み返せるからです。

励ましとは単に言葉をかけるだけではなく行うことでもできます。
ですから、手助けをするのも一種の励ましなのです。
誰かが自分のために何かをしてくれると元気が出ます。
それに、その行いには多額のお金が必要なわけでもありません。
ドアを開けてあげたり、食べ物を運ぶのを手伝ったり、電子メールを送ったり、どれも励まされる手助けの一例です。

スキンシップも励ましになります。
どんな年齢の人でもスポーツでうまくいくとハイタッチやグータッチをします。
後ろからのハグや背中を軽くたたくのも良いですね。
相手の目を見ながら話せば誠意が伝わります。
笑顔も励みになります。また、困っている人の側に座れば心配の思いが伝わります。
もちろん、スキンシップという「言語」は適切な時と場所を考えて行ったほうがいいでしょう。

今日の聖書箇所は使徒行伝の五旬祭の話でした。
このとき、聖霊使徒たちの上に降って、世界中のあらゆる言語で話す力を与えました。
人々は自分の言語で福音を聞いたので驚き、また慰められました。福音の言葉はもはや外国のものではなく、身近なものになったからです。

自分の「言語」で十分な励ましをもらっていないために、”励まし”がまるで外国語のように感じる人はたくさんいます。自分とは違う「言語」でもらった”励まし”はありがたく感じたり、理解ができないのです。
たとえば、ただそこで話を聞いていて欲しいのに励ましの言葉しかもらえない人だったり、あるいは肯定的な言葉が欲しいのにもらえない人もいるでしょう。
みんなが励ましを欲しています。みんなそれぞれ違う方法で励まされることを望んでいるのです。
ですから、私たちは「励ましという言語」を学んで、周りの人をそれぞれの「言語」で励ますことが重要なのです。

主よ、今日わたしが他人を励ませるよう、その方法を教えてください。わたしの家族、友人、見知らぬ人など多くの人々に、さまざまな言語で励ましの言葉を話せるように手伝ってください。
わたしを前向きで思いやりのある声になるよう助けてください。他の人を励ます機会を与えてください。
今日、励ましが必要な人をわたしの道に連れてきてください。今日、わたしの励ましが誰かを助け、いつもあなたを賛美しますように。アーメン。

若い人もいれば、年を取った人もいるように、性格や信仰の強い人もいれば、そうでない人もいます。性格、才能、人生の物語の多様性は、励ましも多様である必要を生じさせるのです。