2020-01-01から1年間の記事一覧
今日シリアのイサクをよんでいて、こんな言葉をみつけました。イエスのたとえ話である「放蕩(ほうとう)息子」からのはなしです。 シリアのイサクは7世紀(せいき)の主教です。また、東方教会でとても名高い人でした。かれはイラク北部にあるニネベの主教…
神の名のためにくるしみをうけ、聖徒たちが神への愛をあらわすとき、神はその愛する人をみすてません。 神のことを、心の底からみる勇気を、聖徒たちは得ます。 勇気あるいのりは力づよいのです。 聖者も、たくさんのかなしみから試みをうけます。それを神が…
シリア語にのこる外典(偽典)詩編です。 ――人々がキュロスから帰国の許可を得たとき。 主よ、わたしはあなたに向かって泣(な)きました𝅝 どうか聞いてください。 わたしはあなたの聖なる住まいに向けて手をのばしました𝅝 わたしに耳をかたむけてください。…
Part3からの続きです。
エリック=ジョーブによる最近の義認シリーズ(パートI, パートII, パートIII)は、正教会での「神の怒り」のあつかいについて議論をおこしました。 正教会の考え方には「神の怒り」がない、と一部の読者はかんがえていたようです。 そういう人たちにとって…
By Surgun100 - Own work, Public Domain, Link 敬虔で神を愛する人、あなたは公正で輝かしい勝利の宴を存分にたのしむでしょう。 かしこいしもべ、あなたは主の喜びの中に迎えられ、喜びあふれるでしょう。 長い斎(断食)を敬虔に過ごした人、あなたはその報…
Part2からの続きです。