「神の善」--シリアのイサクによる
今日シリアのイサクをよんでいて、こんな言葉をみつけました。イエスのたとえ話である「
シリアのイサクは7
Isaac of Syria on God's Goodness — Saint Paul's
罪人をにくんではいけません。神はあなたにその価がないのに、めぐみをあたえてくださったのです。ですから、神のめぐみを のべつたえる者になりなさい。
あなたは神にたくさんの借りがあります。しかし、神はその分のしはらいを強いません。むしろ、あなたの良いおもいからの小さなおこないに、ゆたかなむくいをあたえてくださいます。神を「正義」としてかたってはいけません。正義の神は、あなたをそのようにあつかうでしょうか。
ぶどう園の労働者のたとえをよむとき、あなたは神を正義とよべるでしょうか。
こうした神についてのたとえをかたっているのは、ほかのダレでもありません。ほかの人がこのたとえをかたったとしても、神の善を信用できないでしょう。しかし、このようにあかししているのは、まさに神のみ子なのです。
わたしたちは罪人です。しかし、キリストがわたしたちのために死んでくださいました。ここに神の「正義」は一体どこにあるのでしょうか。
ここで神があわれみぶかい方であるなら、わたしたちには「神はかわらない」という