初実の果

キリスト教についてまとめるメモブログです。

キリスト教と国家第一主義について


悪魔はイエスを高い山へ連れて行き、またたく間に世界のすべての国々を見せて、こういった。

「この国々の一切の権力と栄華とを与えよう。これらは私にまかせられており、私は好きな者にこれを与えられるからだ。

そこで、もしあなたが私を拝むなら、みなあなたのものになる。」

エスは彼に答えていわれた

「悪魔よ、私から離れよ、主なる汝の神を拝し、神だけにつかえよとの聖句がある」

(ルカ4:5-8)

ナショナリズム(国粋主義こくすいしゅぎ)がキリスト教徒の美徳でないとかんがえるわけは、この悪魔とイエスとのやり取りにあります。
すべての国々は自分のものである、と悪魔はいいました。
したがって、すべてのナショナリズムも彼のものです。
実際、ナショナリズムな考えを受けいれるキリスト教徒は悪魔ととりひきをしているのです。

エスはこの世の権力への誘惑とたたかいました。
どこかのただ一つの国をこばんだのではなく、すべての国々の権力を、またそれらを通しての権力をもこばんだのです。
エスの心は地上の国々ではなく、天の国へむいていたからです。

どんな国であれ、地上の国々はいつか滅びます(マルコ13:311コリント2:6)。
全世界のキリスト教徒は、このことを心に留めておくべきです。 わたしたちが今すんでいる国も例外ではありません。

この世界の国々で一番の力があったとしても、それはいずれなくなります。しかし、神の国は永遠です。(ダニエル7:14)
キリストは、一時的なものでなく、永遠のものに仕えるようよびかけています。

聖ニコライ・ヴェリミロヴィッチは神の国だけが永遠であり、ほかの国々には終わりがあることをおしえています。

皇帝ユスティアヌスによって築かれたシリアの教会には、皇帝自身がそこに置くようにと命じた いしぶみがあり、今日までのこっている。

いしぶみには、「なんじの国は永遠の国(聖詠144:13、詩編145:13)」としるされてある。

この言葉を自分のものとし、心からのキリストへのあこがれを、この言葉でもってあらわすことができるように、主よ、たすけてください。

このほかのことは、さほど重要でない。ほかの、地上の国々は、いつか死に絶えて虫ケラになるであろうから。

この世界の、地球上の国々がほろぶとき、義人は天使らとともに天国で歌う。「我らの神キリストよ、爾の国は永遠の国、爾の支配は世々にいたらん。」太陽の下でもっともおどろくべき教師、我らの神キリストと、父なる神および聖霊なる神と共に、すなわち、実体の分かれざる三位一体に、今もいつも世々に、栄光と賛美とがあらんことを。アーメン

(HOMILIES Vol2 p30-31)

キリストは、まず神の国を第一にしなさいと命じられました。(マタイ6:33)
自分の国を第一にするなら、キリストを否定しなければなりません。
神と国とを同じように扱うことはできないからです。キリストはいいました「神とマモン(富や国などのこと)とに、兼ね仕えることはできません。」(マタイ6:24)
何を先にして、何を後にするかを、はっきりとさせるべきです。

もし、心をつくし、たましいをつくし、力をつくし、おもいをつくして神を愛するなら、その愛をとおして、敬虔な方法で自分の国を愛せます。しかし、ただ一つの永遠国の主であるキリストの弟子が地上の国に心をうばわれたり、みずからの国を偶像(アイドル)のように扱ったりはしません。
神の国のためにはたらきましょう。「神を愛し、となり人を愛する」というおきてにそった方法で、国とのかかわりをもつべきです。

あなたはいにしえ、地の基をすえられました。

天もまたあなたのみ手のわざです。

これらは滅びるでしょう。

しかしあなたは長らえられます。

これらはみな衣のように古びるでしょう。

あなたがこれらを上着のようにえられると、

これらは過ぎ去ります。

しかしあなたは変ることなく、

あなたのよわいは終ることがありません。

(詩編102:25-27)

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